かつてこの地には、昭和12年12月1日に兵庫県で最初に造られた加古川飛行場がありました。加古川飛行場では、関西の防空を担うだけでなく、特攻作戦のために部隊が編成されたり、知覧に向かう中継基地になったりしていました。昭和20年の7月下旬には、この播磨地方もアメリカの戦闘機がやってきて、毎日のように空襲警報が鳴り、何度も退避壕に避難し、負傷したり亡くなったりしました。過去の悲惨な戦争体験を忘れず、いつまでも戦争のない平和な世の中が続くことを願って資料館を作成しました。おかげさまでたくさんの資料をアップできるようになりました。またその当時この東二見に住んでいた小学生が書いた日記やマンガ、そして出征して怪我を負って広島の病院にいるお父さんのために、家の様子を知らせるために書いた「我が家の新聞」も掲示しています。
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